【金沢市 人×街インタビュー編】金沢の発酵文化へのこだわりが世界に通用する製品を生む 「ヤマト醤油味噌」

2017.08.18

 金沢駅港口(西口)から車で15 分。ヤマト醤油味噌は日本海に面した港町、金沢市大野町にある。平日も観光客で賑わう東口の兼六園側と違い、大野町には観光客の姿は少ない。しかし、代表取締役社長の山本晴一氏が言うように、「武家屋敷のある兼六園側が400 年の歴史だとすると、大野の港町には1200 年の歴史がある」。大野は古くは奈良時代の渤ぼっかい海との交易、江戸時代は北前船の寄港地として繁栄した。北前船が運んだ大豆や小麦と白山の豊かな伏流水、能登の海水塩などを原料とした醤油醸造が始まり、江戸時代には醤油五大生産地(大野、銚子、野田、小豆島、龍野)として知られるようになった。
 その大野にヤマト醤油味噌が創業したのは1911 年(明治44 年)。大野の長い歴史からみれば、つい100 年前にできた企業で、山本氏はその四代目にあたる。初代は、北海道の小樽や稚内など西海岸を中心に味噌・醤油を運び、金沢への帰り荷に木材や海産物、大豆や穀物を運び販売する商いを始めた。醤油醸造を始めたのは二代目で、1926 年頃、井戸を3 本掘って白山の伏流水を求め、その中で一番水質の良い井戸を仕込み水とした。三代目は高度経済成長期。機械化と品質管理を徹底し、味噌の醸造も始めた。機械化を進めるにあたっても、三代目はより自然な発酵を行うため、昔ながらの杉材を使った木桶醸造にこだわった。この作り方は今も受け継がれている。
現在の金沢港の一角を占める大野町は江戸時代は醤油五大生産地の一つだった

現在の金沢港の一角を占める大野町は江戸時代は醤油五大生産地の一つだった

 四代目の山本氏が取り組んだのが、めんつゆやぽん酢などの加工品の開発、海外への販路拡大、そして「発酵食品のヤマトへ」という事業ドメインの見直しだった。実は、山本氏はアメリカの大学でマーケティングを学んでいて、会社でもマーケティングを担当。製造(工場長)は化学会社の研究員だった実弟の山本晋平氏にまかせている。実弟は、2013 年に糀 こうじ甘酒の研究成果を論文にまとめ、金沢大学大学院のドクター/ 工学博士号を取得している。
ヤマト醤油味噌の四代目・山本晴一氏

ヤマト醤油味噌の四代目・山本晴一氏

 ヤマト醤油味噌は従業員30 人余りの会社だが、代表商品である生醤油「ひしほ」がフランスの三ツ星レストランで使われるなど、世界でも認められている企業だ。しかし、海外での販売も一朝一夕に実現したわけではない。アメリカで開かれる食材見本市に1988 年から参加していたが、初めての契約を結べたのは2000 年だった。フランスへの進出も、2004 年のパリで開催された食品見本市で、三ツ星レストラン「ルドワイヤン」のシェフ、クリスチャン・ルスケール氏が「ひしほ」を気に入ってくれたことがきっかけだった。両国ともプロの料理人に認められ、取引が始まっている。製品の販売比率も、今は金沢6:その他国内2:海外2 という割合になっている。
 事業が拡大する中で、事業ドメインの見直しも行った。たどり着いた答えが金沢の食文化「発酵食」。それを具体化したのが「ヤマト・糀パーク」だ。本社敷地には、製造工場だけでなく、本店直売所「ひしほ蔵」、料理教室を行う「キッチンスタジオ」、糀を使った料理が楽しめる「発酵食美人食堂」、糀の効果を体感できる「糀蔵」の五つの機能を設け、糀の良さを体験できる。
 伝統を大切にしながら、企業を革新していくとはどういうことか。最後に山本氏に聞いてみた。「フランスの取引先に、フランス人に気に入られようとして商品開発するなら我々は取引しない、と言われたことがあります。金沢の風土によって育まれた発酵食文化は極めて日本的だからこそ世界に通用する。金沢の風土のおかげです」。
「糀蔵」では、米糀を加えた温かい湯の中に手を浸す「手湯」の体験もできる

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糀や甘酒で味付けした特製ランチが楽しめる「発酵食美人食堂」

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記事作成:2015 May

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