【金沢市 人×街インタビュー編】アートで街を活性化し自分たちの思いを形にしていくNPO 「金沢アートグミ」

2017.08.18

近江町市場の入り口、北國銀行武蔵ヶ辻支店の3階が「金沢アートグミ」のギャラリー

近江町市場の入り口、北國銀行武蔵ヶ辻支店の3階が「金沢アートグミ」のギャラリー

 金沢アートグミは、アートを切り口に人・情報・街を繋ぐ活動を行う金沢のNPO 法人だ。北國銀行武蔵ヶ辻支店3 階に自前のギャラリーを持っているが、その活動はギャラリーの企画運営だけにとどまらない。金沢市内のさまざまなアート活動の情報発信や事務局機能も担っている。
 例えば、市内に点在するアーティストや工芸作家のアトリエ、近代建築、町屋など文化的スポットを巡りながら金沢の魅力を味わってもらう「金沢クリエイティブツーリズム」では、事務局の役割を果たしている。また、今までばらばらに活動していた市近郊のギャラリーやアートスペースの情報発信や共通テーマの企画を実施するコミュニティー「金沢アートスペースリンク」も、金沢アートグミがまとめ役を果たしている。
 NPO 法人としての活動は2009 年からだが、金沢アートグミ設立のきっかけは、金沢市が2003 年に立ち上げた「金沢まちづくり市民研究機構」だった。全国的にもユニークな取り組みで、市民が自主的に参加し、ディレクターのもとで、それぞれ都市づくりや街づくりにかかわるテーマについて調査研究し、金沢市や市民に提案するものだった。そのディレクターとして参加していた金沢美術工芸大学教授の真鍋淳朗氏らが中心になり、そこでの提案を実現すべく発足したのが金沢アートグミだ。金沢市は加賀藩による工芸振興もあって伝統工芸が盛んな街だが、1990 年代からアートによる街の活性化が進められてきた。その一つの成果が国際的な現代美術を紹介する「金沢21 世紀美術館」の成功だったが、この動きを市民サイドからボトムアップし、街の活性化につなげていく目的で作られたのが金沢アートグミだった。
 ギャラリーのある北國銀行武蔵ヶ辻支店の建物は、日本を代表する建築家、村野藤吾の設計で昭和7 年に建てられた現存する数少ない初期作品の一つだ。近江町市場再開発にともない取り壊しの危機にさらされていたが、保存を強く希望する地元の声に北國銀行がこたえ、2008 年に14 メートルほど離れた場所から現在地に移築された。北國銀行に金沢アートグミの活動方針に賛同してもらい、その3 階スペースの提供と運営委託を受けることから今の活動が始まった。
金沢美術工芸大学・北國銀行連携事業として開催された「秋吉かずき個展 有機体」

金沢美術工芸大学・北國銀行連携事業として開催された「秋吉かずき個展 有機体」

 金沢アートグミの「グミ」には、さまざまなものをつなぎ「組み」合わせ、お菓子の「グミ」のように色彩豊かに不思議な感触を与え、アートを考える「組」織の三つの意味を込めている。予算の6 割が展覧会などの事業収入、3 割が北國銀行からの運営委託費、1 割が会員費や寄付金。正会員・企業会員・賛助会員合わせて約40 人で、毎月第1 火曜日開催のミーティングを基本として、会員全員がフラットな立場で協議を行い、企画すべてを決めている。単なる社会実験ではなく、活動を継続的に行う体制を整えている。
毎月第1火曜日開催の月イチミーティング

毎月第1火曜日開催の月イチミーティング

 それにしても、なぜNPO 法人なのだろうか。真鍋氏は「行政がそこにかかわると、企画を決めるときにも特定の団体の支援や利益にならないものというような判断基準も生まれてくる。NPOなら、アートで街を活性化するために、自由に動いてつなげていくことができるからだ」と言う。
 真鍋氏の専門分野は「都市空間のアート機能の研究」で、大学の授業だけでなく、金沢の多くのアートプロジェクトにもかかわってきたが、実は京都生まれ。「まれびと(外部からの来訪者、客人)なんですよ。金沢では自己主張をする人は嫌われる。金沢生まれの人は他人の気持ちをまず考えるんですね。でも、よそから来た人の意見は聞いてくれるんです。それが、伝統を大切にしながら、革新を生む金沢の力にもなっている。金沢にとってNPO の役割は、『まれびと』と同じところがあるかもしれませんね」
金沢アートグミ理事長の真鍋淳朗氏

金沢アートグミ理事長の真鍋淳朗氏

(所属・役職等は取材時点のものとなります。)

記事作成:2015 May

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