【仙台市 人×街インタビュー】商店主が“伊達”を競い合う仙台七夕まつりを支える紙問屋『鳴海屋紙商事』

2017.08.18

鳴海屋紙商事本部長の鳴海幸一郎氏

鳴海屋紙商事本部長の鳴海幸一郎氏

(所属・役職等は取材時点のものとなります。)

 「七夕まつりは、仙台商店主の伊だて達の競い合いなんですよ」。鳴海屋の血筋六代目(鳴海屋紙商事本部長)、鳴海幸一郎さんの話を聞いて、仙台七夕まつりがなぜ豪華絢爛なのかわかった気がした。七夕は平安時代、裁縫や詩歌・書道など技芸の上達を祈る行事として宮中を中心に広く定着した。七夕飾りの基本は、短冊、折鶴、吹流し、紙かみ衣ごろも、投網、屑籠、巾着の七つ。仙台流はこれに大きなくす玉飾りが加わる。
 東北三大まつりの一つ仙台七夕まつりは毎年8月6日から8日の3日間行われ、200万人以上の観光客が訪れる。期間中は市内各地に大小合わせ3000本の飾り付けが行われるが、市の中心の商店街に飾られる1500本の七夕飾りの3分の2にかかわり、仙台七夕まつりを陰で支えているのが鳴海屋紙商事だ。
 創業は明治16年(1883年)。七夕にかかわり始めたのは戦前、曾祖父の時代からだった。毎年、七夕の準備が始まるのは春の彼岸の頃。作るのは、この道のベテランの女性ばかり20人。その陰に、例えばくす玉に使われる花飾りなら、京花紙を7枚数えて重ねて蛇腹折りにする人、その紙を1枚ずつ広げて花飾りを作る内職の人が何人もいる。それを作業場に集めて、仕上げていくのだ。
 毎年同じように見える飾り付けだが、実はその年ごとに違う。商店が隣同士競い合うことで、仙台七夕は絢爛さを増してきた。「昔はそれぞれの店で、仕事の合間に店の奥の蔵や倉庫でこっそり作るものだったんです。それを8月6日の早朝に奥から出してきて、一斉に飾り付け、隣の店と『勝った!負けた!』とやっていた」。「伊達」の由来は、伊達政宗の家臣が派手な服装で人目をひいたことからと言われるが、仙台商人にもその心意気は受け継がれている。仙台七夕まつりは、地元商店街が競い合う技芸のまつりでもあるのだ。
 仙台は「支店経済」と言われる。鳴海さんに言わせれば、それは仙台の3分の2。残りの3分の1は仙台商人が支えている。「仙台商人は初対面は無愛想なんです。何度行っても門前払い。それにもめげず一度暖簾をくぐらせてもらえたら、その店の仕事どころか、知り合いまで紹介してくれる」。実は、仙台商人は一途で情に厚い。
仙台七夕を象徴するくす玉飾り

仙台七夕を象徴するくす玉飾り

 仙台の商店街を元気にしてきたのも七夕まつりだ。始まったのは伊達政宗の時代と言われるが、明治の新暦採用を境にして年々七夕の風習は廃れていった。この状況を変えようと商店街が協力して大々的に七夕飾りが飾られたのが昭和2年(1927年)。戦後、昭和21年(1946年)に仙台空襲で焼け野原となった街でいち早く行われたのも七夕まつりで、52本の竹飾りが立てられた。この時、仙台で初めて開発されたのが吹流しの上に付けられた大きなくす玉飾りだ。
 東日本大震災の時もそうだった。春の青葉まつりは中止。夏の七夕まつりはいつも通り行いたい。しかし、準備が始まったのは5月半ばで、半年かかる準備を2か月半でやるしかない。今まで七夕飾りを広告媒体とだけ見ていた企業の人たちまで、七夕飾り作りを手伝いたいと申し出てくれた。仙台市の小中学校に通う約8万人の子供たちも8万羽のツルを折ってくれ、9本の大きな吹流しにして市内で一番人通りの多い藤崎本店前のアーケードに飾られ、伝統に新たなエピソードが加わった。それまで観光客だけで、地元の人はあまり見ないと言われていた七夕まつりだったが、ある意味、震災が再び身近なものにしてくれたのだ。
 七夕飾り作りは女性中心だが、男性の出番は8月の4、6、8日。4日は10メートルを超える孟宗竹を店の軒先に固定する。6日は午前2時から飾り付けの手伝いを始め、朝9時半までに終了。8日は23時59分までに葉っぱ一枚残さず撤収する。しかも、消防署の指導で毎日夜10時以降は七夕飾りを取り込まなければならない。この飾り付けの中心になるのが鳴海屋紙商事の社員だ。
 震災前、鳴海さんは飾り付けを手伝ってくれるスタッフのために、何色かのTシャツを作った。鳴海屋紙商事の男性社員が着るのは「黒いTシャツ」。七夕の黒子に徹するという心意気からだ。「でも、紙問屋の社員ですから、朝になったらそのままスーツに着替えて紙の営業、通常のユニフォームに着替えて納品に行かなければいけない。七夕の間、うちの会社は一時的なブラック企業ですかね」。震災のボランティアがきっかけで、七夕の準備が忙しい8月4〜6日、東京の八王子から飾り付けのボランティアに毎年来てくれる人がいる。彼にも今年から飾り付けの1軍の証しである黒いTシャツを着てもらっている。ちなみに、七夕の黒子ボランティアは随時募集中だ。
記事作成:2015 October

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