【旭川市 人×街インタビュー編】 旭川家具 / カンディハウス

2017.08.18

旭川家具

旭川家具が一堂に会した「旭川デザインセンター」

旭川家具が一堂に会した「旭川デザインセンター」

 JR旭川駅待合室のベンチ、旭川空港出発ロビーの椅子、旭川市公会堂の椅子などあげればきりがないが、いたるところで旭川家具を目にする。旭川市はまさに木の街、木工の街だ。明治の末期、旭川市で本格的なまちづくりが始まり、それに伴い全国から家具職人たちが移住。深く豊かな森林に囲まれ、良質な木材に恵まれていた旭川は、日本有数の木工家具の産地となった。
 1949(昭和24)年には、旭川家具事業協同組合(現在の旭川家具工業協同組合)が設立され、家具産地が一体となって旭川家具を普及、発展させる取り組みを行い、旭川家具は全国的に知られるようになる。
 最大の特徴は「デザイン性の追求」だ。1990年から3年おきに開催している「国際家具デザインフェア旭川(I FDA)」では、世界レベルのデザインコンペティションを実施。世界中の若手デザイナーの登竜門になる一方、旭川の家具メーカーの技術レベル向上にも大きく貢献し、いまや、日本のみならず世界に知られる地域ブランドとなっている。
2014年6月に開催された  「国際家具デザインフェア旭川  (IFDA)」のパンフレット

2014年6月に開催された 「国際家具デザインフェア旭川 (IFDA)」のパンフレット

 そんな旭川家具の魅力に触れることができるのが、永山地区にある「旭川デザインセンター」だ。約3,000㎡の広さに、旭川家具32社の家具1,700点余りが展示されている。実際に触って買えるショールームとなっており、様々な個性を持つ旭川家具に触れることができる。展示会やイベントなども行われ、北海道内、道外からも多くの人が訪れる、旭川家具の拠点となっている。

旭川家具をけん引する家具ブランド 「カンディハウス」

カンディハウス旭川本社の2200㎡に及ぶショップ

カンディハウス旭川本社の2200㎡に及ぶショップ

 カンディハウスは旭川市に本社・工場を持つ家具メーカー。国内外からの評価、とりわけ家具の本場ヨーロッパからも高い評価を受ける、旭川家具を代表する企業である。
創業は1968年。古くから婚礼家具の産地として有名だった旭川家具に、「デザイン」という発想を持ち込んだのが、創業者の長原實だった。若い頃、ドイツに職人修業に行った長原は、機械化と職人技術を融合させた効率的な家具づくりを目の当たりにする。当時の日本にはない、欧米の洗練された家具デザインに刺激された長原は、地元・旭川の地で世界に通用する家具を作ることを決意した。
カンディハウスでは家具づくりの全工程を地元旭川で手がける。約260人いる社員の
うち、6割がものづくりに携わる。材木の乾燥から、椅子張り、最終的な仕上げまでそれぞれの工程に、専門の職人がつくライン製造。先進機械が得意とする部分は機械技術を積極的に取り入れ、微妙なデザインを生み出す工程や仕上げの作業は、職人の手で行う。
細かい部分を手作業で仕上げる職人さんたち ~旭川本社工場

細かい部分を手作業で仕上げる職人さんたち ~旭川本社工場

 そして、経営方針にも掲げるデザインでは、国内外の数多くのデザイナーとコラボし、ドイツの著名なデザイナー、ペーター・マリー氏や日本では、デザインオフィスnendoの佐藤オオキ氏など外部のアイデアを積極的に取り入れている。マーケティング本部長の染谷氏は、「無理難題をぶつけられることもあるが、自分たちが考えつかない新たな発想がある。それが、新しい発見、技術革新にもつながる。」と言う。1990年から旭川市で開催されている「国際家具デザインフェア旭川」にもカンディハウスは当初から中心的に関わってきたが、「最近の応募作品は少しまとまりすぎている。家具づくりを熟知していないような人の提案が、新発想につながるのかも」とどこまでも前向きだ。
旭川市は家具づくりの環境に恵まれている。まず旭川周辺は豊かな森林に恵まれ、材木屋も多く良質な木材には事欠かない。家具メーカー、工房などが集まり、家具作りに携わる人たちもたくさんいる。そして、地元の高等技術専門学院では木工を教える学科があるなど、人材育成にも積極的で、「国際家具デザインフェア旭川」など行政の積極的な支援もある。「それでも」と染谷氏は続けた。「旭川家具の知名度は全国的にはまだまだ低い。もっと、多くの人に旭川家具の魅力を伝えていきたい。そして、旭川市で雇用を生み出し、旭川市を元気にして、地域に貢献したいですね」
マーケティング本部本部長の染谷哲義氏

マーケティング本部本部長の染谷哲義氏

(所属・役職等は取材時点のものとなります。)

記事作成:2014 October

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