【旭川市 人×街インタビュー編】地域の人に愛される日本酒のグローバルブランド 「男山」

2017.08.18

 広大な大雪山系の麓に広がる旭川市は、冬の冷え込みが厳しく、春には豊かな雪解け水の伏流水に恵まれた酒造りに格好の地だ。この厳しい気候の中で、長きにわたって旭川市民に愛され続けている日本酒が「男山」だ。旭川の地酒としてだけでなく、欧米を中心に21か国に輸出され、その量は総販売量の約15%に達するという。
 「男山」は寛文年間(1661年〜1673年)、摂津伊丹(現・兵庫県伊丹市)で醸造を始めたのが始まりとされている。その「男山」の正統を受け継いだのが、明治の初めから旭川の地で酒造りを行ってきた山崎酒造(現在の男山)だ。今は旭川を代表する地酒として知られる「男山」だが、必ずしも順風満帆だったわけではなく、大手酒造会社の攻勢を受けて地元のシェアを奪われかけたこともあった。
現在の「男山」の強さの理由を探ってみると、他社とは異なるブランド戦略が見えてくる。一つは品質へのこだわり。品質志向を裏付けるものとして、数々のコンクール、特に国際的に権威ある賞を受賞してきた。1977年に清酒として初めて国際コンクールで金賞を受賞して以来、38年連続受賞を果たしている。「日本人は外からの評価に弱い。旭川で売りたければ札幌で、札幌で売りたければ東京で、東京で売りたければ海外で認めてもらうこと」と考え、日本酒がまだ海外で注目を集めていない頃から、海外市場開拓に乗り出し、海外での評価を高めていった。
「男山酒造り資料館」では、「男山」に関する貴重な文献や美術品も展示されている。

「男山酒造り資料館」では、「男山」に関する貴重な文献や美術品も展示されている。

 次に注目すべきは、年間14万人が訪れる観光名所にもなっている「男山酒造り資料館」。3代目社長が欧州のワイン工場視察時に思いついたという資料館では、ワインと同じように酒造りの現場を見てもらい、帰りに試飲や購入ができる販売手法を取り入れた。今では製造現場を見せる酒蔵は珍しくないが、それを40数年前から実施したところに先見性があった。
酒造りに使用している大雪山の伏流水は一般にも公開し、多くの市民が水汲みに訪れる

酒造りに使用している大雪山の伏流水は一般にも公開し、多くの市民が水汲みに訪れる

 海外で最も有名な日本酒の一つとなった「男山」だが、今も「旭川とともに生き、暮らし、育む酒造り」という方針は変わらない。毎年2月、できたての酒を味わい、楽しんでいただく「酒蔵開放」イベントでは、1万人を超える来場者に、酒をふるまうという。また、毎年冬になると、秋の収穫を終えた地元旭川の農家の人たちが20人ほど蔵人としてやってきて酒造りを手伝う。「地元旭川、そして北海道できちんと飲んでいただくことが、『男山』にとって一番大切なことです」と杜氏の北村氏(製造部長)は言う。これだけ大きくなっても、旭川の風土、地元との関係を何よりも大切にする。あくまで旭川の地酒であることにこだわりつつ、世界での評価を高める努力も怠らない。そこに「男山」の本当の強さがある気がした。 
杜氏の北村秀文氏

杜氏の北村秀文氏

記事作成:2014 October

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