消費はどこへ向かうのか

2017.09.19

中央大学大学院戦略経営研究科 教授田中 洋 氏

中央大学大学院戦略経営研究科 教授田中 洋 氏

1951年愛知県生まれ。慶應義塾大学大学院商学研究科後期博士課程単位修得。電通、コロンビア大学大学院ビジネススクール客員研究員・フェロー、法政大学経営学部教授を経て、2008年4月から中央大学大学院戦略経営研究科教授。京都大学博士(経済学)。マーケティング・消費者行動・ブランド・広告分野の研究者。とくにブランド分野で日本で有数の研究者として知られる。著書に『消費者行動論体系』(中央経済社)「企業を高めるブランド戦略」(講談社現代新書)ほか多数。
(所属・役職等は取材時点のものとなります。)

 東日本大震災から半年以上たち、消費の本格的な回復が求められている。しかし、消費はなかなか上向いてこないように見える。リーマンショック後の不況、震災を経て消費者行動はどのように変化し、またどうすれば消費活性化の糸口がつかめるのか。ブランド研究、消費者行動研究者であり、企業の戦略アドバイザーも務める中央大学大学院戦略経営研究科の田中洋氏に聞く、消費の今。

――今の消費状況をどう見ていますか。

 いろいろな経済指標を見ても、かなり震災前の数字に戻ってきていますね。アメリカで大きな事件が経済に及ぼす影響を調べた研究があります。2001年の9. 11(アメリカ同時多発テロ事件)だけでなく、湾岸戦争(1991年)やオクラホマ市役所爆破事件(1995年)など90年代にも大きな事件がいくつもありました。その中で経済に影響を与えたのは、唯一、湾岸戦争だけだったのです。大きな事件や災害が起きた当初は一時的に消費を控える現象が起きますが、意外とすぐ日常に戻ってしまうのです。
 文芸評論家の柄谷行人氏が「明治・昭和反復説」を唱えていました(柄谷氏はこの説は現在では「封印」しています)。何かと言うと、明治の時代に起きた出来事が、昭和の時代に反復するという説です。
 例えば、西南戦争は明治10年に起きていますが、昭和12年には日中戦争が起きています。それから、明治45年に乃木大将が天皇崩御で切腹して殉死していますが、昭和45年には三島由紀夫の腹切り事件が起きています。そういうように、明治と昭和に起きたことが反復するという説です。
 昭和を延長すると、今年は昭和86年に当たります。それとほぼ同じ明治85年(1952年)に何が起こったかというと、マグニチュード9.0のカムチャツカ大地震が起きている。ところが、その年は昭和で言えば27年で、日本の高度経済成長が始まる時期なんです。ということは、「今年から日本の高度経済成長が始まる」ということなんですが、そう言っても、今は誰も信じないでしょうね(笑)。柄谷氏自身も、そうした反復に根拠があるわけではないと言っているのは当然です。
 でも、それも見方次第なんです。最近は円高が続いていますが、日本のGDPをドル建てで計算すると8〜9パーセント成長しているんですね。

――輸出企業はそれどころではないでしょうが、確かにそう見れば…。

 そういう風に少し視点を変えてみると、もう日本はダメだとか、不景気だとか、いろいろ言われていますが、ヨーロッパやアメリカを見ても同じようなものですし、むしろ、その中で円高になるくらいだから、ひどくはなっていないという考え方も成り立つと思うのです。もちろん、それが、客観的な経済の話として正しいか正しくないかは別ですが。
 僕が言いたいのは、消費はそういう心理的要素が非常に大きいということです。マスコミの論調や外からの情報にものすごく影響される。もちろん給料が少なくなったとか、現実的な問題を抱えている人もいるでしょうが、多くは、経済の先行きや将来の年金に対する不安などマクロな情報に影響されて消費を控えておこうという気持ちになることのほうが要因としては大きいということです。

ムードに左右される消費者

――消費が外からの情報に揺れ動かされやすいのはなぜでしょう。

 人間は、常に何らかのムードの中にいるからです。ムードとは、自分が察知する世間の空気です。朝起きて雨がザーザー降っていたら、気分が暗くなる。逆に、天気がいいと良くなる。
 外からの情報も同じです。マスコミやネットから得た情報が、その時のムードを作り、今の消費に大きな影響を与えているということなんです。だから、バブルの時もそうでしたが、景気のいい時というのは、人間は「この景気はずっと続くものだ」と思い、逆に景気が悪くなると「良くなることはあり得ない」と考えてしまう傾向があるのです。震災が起こった当初も、お花見を止めるなど社会に自粛ムードがありましたが、それも世間のムードを察知して、消費を控えようという心理からきているのです。
 ただ、もう一方で人間はネガティブなムードに、ずっと耐えられないという傾向があります。それから、震災のああいう悲惨な出来事をなかなか直視できない。直視すると、心理的な平衡、バランスが保てなくなるので、日常に戻ろうとする力が効いてくるんですね。

――そのムードを一新して、消費を回復するにはどうしたらいいかということですが。

 そのための手がかりは、いくつかあると思います。例えば倫理的消費です。「倫理」という言葉はわかりにくいですが、僕は「他者のためにどう振る舞うかを決める」のが倫理だと思っています。お金を使うにしても自分を満足させるためだけに使うのではなくて、困っている人のために何か役に立つような消費行動をとる。応援消費や寄付つき商品の購入も、その一つだと思います。
 もう一つの流れは、フェイスブックやミクシィ、ツイッターなどのソーシャルメディアによって消費の流れが変わったことです。消費という観点からソーシャルメディアを見て明らかになってきたのは、人とつながりたいという欲求です。
 これまでは付き合いを長く保つことは非常に大変なことでした。手紙を書いたり、食事をしたり、たまに酒を飲んだり。要するに、コストがかかった。しかし、ソーシャルメディアを使うことによって、コストを少なく、人とのコネクションを保つことができるようになったのです。
 社内ネットワーク理論の中にも出てきますが、これは強い紐ちゅう帯たいよりも、弱い紐帯のほうが役に立つこととも関係しています。紐帯というのは、コネクション、つながりという意味です。強い紐帯とは何かというと、毎日一緒に麻雀をやったり、飲みに行くという関係です。そういう濃い付き合いではなくて、ソーシャルメディアでつながった状態にあるくらいの軽い関係のほうが、むしろ社会生活には役に立つんだという理論があります。
 人との関係は、いつどういうときに必要になるか予測ができません。ある一人の人と深い関係を保って、そこにコストをかけるよりも、いろいろな可能性を弱い紐帯で持っておくほうが役に立つということです。今のツイッターやフェイスブックは、そういう弱い紐帯をうまくつなぎ止めるのに役に立っているんですね。

消費の二極化

――最近は、サラリーマンの所得が減っていると言われていますが。

 世界的傾向としてあるのは、消費の二極化です。ただ、二極化を富裕層・非富裕層と単純に二つに分けて考えるのは間違いで、今起きているのは「中産階層の下層化」です。中産階層の家庭が今は下に行っているんですね。
 最近は第2のリーマンショック到来かと言われていますが、その一つの要因は、おっしゃるようにリーマンショック以降の不景気が中産階層を直撃して、収入が減ってしまったことです。日本のサラリーマンの平均所得は、1997年の467万円をピークに、リーマンショック直後の2009年の406万円よりは少し持ち直しましたが、それでも2010年で412万円まで年収が下がっています。
 その結果、中産階層に「安いものでもいい」という意識が生まれてきた。衣料品はリーマンショック前からそうでしたし、最近は高級住宅地にまで100円ショップができるようになっています。中途半端な中級品が売れない時代になっているんですね。
 典型的なのが化粧品です。これまで化粧品メーカーは中級クラスのカテゴリー、3000円から5000円ぐらいの価格帯で勝負してきました。そこに基礎化粧品を中心に異業種から1000円以下の安い化粧品が出てきて中級のラインが売れなくなってきています。
 日本は昔から中産階層の国と言われきましたが、それが変わってきた。これまで中級品を買っていた人たちが、年収も下がり、安い商品しか買えなくなったり、安い商品でもいいという意識になってきている。そういう意味の消費の二極化が、今起きていると思いますね。
 その一方で、世界的に富める人はもっと富むようになってきています。実は、日本にも一億円以上の資産を持っている「富裕層」が174万人もいるのです。アメリカに次いで多く、世界の富裕層人口の16%を占めています。ただ、富裕層の人たちが買いたいものがないという問題もあるのですが。

生活のクオリティーと贅沢

――富裕層に買いたいものがないというのは、市場の成熟化と関係があるのでしょうか。

 「成熟」という言葉は、消費を見るときには使わないほうがいいと思っています。「成熟」と言うと、なんとなくわかったような気になってしまって、結局、説明していることにならないことが多いからです。
 モノが売れなくなった原因は、大きく二つあると思っています。一つはイノベーションが停滞しているからです。IT技術は日々進歩していますが、タブレット型端末にしても、スマートフォンにしても、基本的にはインターネット技術の延長線にあるものに過ぎません。だから、消費が飛躍的に拡大するきっかけにはならないのです。
 実は1960年代には、富士ゼロックスが普通紙コピー機の国内販売を開始したり、テレビが家庭に普及したりと、生活を根本的に変える商品が出てきています。1990年代にもインターネットやWindows95が出てきた。しかし、それ以降、われわれの生活を大きく変える商品やサービスは、実は出てきていないんですね。
 もう一つは、一定水準以上の豊かさを実現してしまったために、ここから生活のクオリティーを上げるには相当お金かけないと実現できないことがあります。日本は地価が下がったとは言え、まだまだ高過ぎるんですね。都会の高層マンションに引っ越そうと思えば、数千万円以上かけないとできないという現実があります。
 われわれの普段の生活を振り返ると、スーパーマーケットへ行っても、大抵、数百円単位のものを買っていて、1000円を超えると高いくらいです。スマートフォンやケータイは何万円単位、高めの家電も何十万円単位、クルマで数百万円単位です。ところが、家を広くしたり、もっとプレステージの高い土地に住みたいとなると数千万円から1億円はかかります。クルマから大ジャンプをしないといけないわけです。
 中産階層の人がもっとラグジュアリーな生活を送ろうとしても、何十万円かけたくらいでは、生活はそんなに劇的には変わらないのです。
 もちろん、昔の日本がそうであったように、発展途上国は別です。ちょっとステップアップしただけで、目に見えて生活がよくなってくる。実はアメリカも日本と同じで、リーマンショックも、結局は住宅問題が要因だった。中産階級がステップアップしようと思うと、相当コストがかかる構造になっているんですね。

――富裕層はどうなのでしょうか。

 豪華さということを追求していくと、「つまらないこと」が贅沢になっていくんですね。どういうことかと言うと、例えば、高級ホテルがどういう点で豪華さの差別化を図っているかというと、ドアが重いとか、絨毯が厚いとか、ある意味どうでもいいところなのです。
 先ほど中産階層の消費が下がってきたと言いましたが、最近は、逆に、お値打ちな提供品のレベルが上がってきて、中身がこれまでの高級品とあまり差がなくなってきています。機能的な面では、富裕層を対象とした商品と差別化が付けにくくなっている状況があるんです。
 それで今、高級なところは何で差別化しようとしてるかというと、豪華さではなくて、むしろ「貧しさ」みたいなことで差別化を始めています。ラグジュアリーと言うと、われわれはフランスのルイ14世の宮殿を想像しがちですが、実際、今、提案されているラグジュアリーというのは、むしろ逆なんです。
 京都や軽井沢に「星のや」という高級旅館がありますが、何を売りにしてるかというと「部屋にテレビがありません」というようなことを売りにしている。「星のや」のコンセプトは里山です。農村があって、山があって、その中間地帯の薪を拾いに行った場所が里山で、それが今のラグジュアリーなんですね。

――それは、日本だけの現象なのでしょうか。

 バリ島の水上コテージもそうです。原住民の貧しい家を模したようなコテージが海辺に建っている。ビンテージジーンズやTシャツが売れているのもそうですね。倉庫に何十年も眠ってたやつを引っ張り出して来て、それを何万円、何十万円で売っているわけですが、これも一種の貧しさがコンセプトになっているんです。
 富裕層向けにゴージャスな住宅を提供しますと言っても、今は環境には配慮しなければいけないし、ナチュラルにしなければいけない。結局、「貧しいのと変わらないんじゃないの」ということになってきてしまう。そう考えていくと、われわれは今後、何をめざして消費したらいいのか、だんだんわからないところにきているんですね。

新たな成長のための消費モデル

――目指すべき消費モデルがなくなっているということですか。

 それが、今後の消費を考える一つのポイントだと思っています。では、どうしたらいいかということですが、一つは「様式を選ぶ」という戦略が、今後は出てくると思っています。様式とは何かと言うと、日本にはあまりないですが、ビクトリア調やアール・ヌーボー調といった昔定まったある種の生活スタイルです。つまり、昔のライフスタイルの反復です。
 イギリスやアメリカのお金持ちは、成功したあと農場に住む人が多い。もちろん、畑仕事は人に任せて、ライフスタイルとして農場に住むわけです。ビートルズのポール・マッカートニーやアメリカのブッシュ元大統領もそうです。それがなぜ成り立つかと言うと、イギリスやアメリカには様々なライフスタイルの変遷があるからです。
 日本は、まだ、そこまで行っていない。日本における「現代」は、まだ短いんですよ。アメリカは歴史がないと言われますが、コロンビア大学は創立260年近い。イギリスのオックスフォード大学に至っては900年以上の歴史がある。日本の大学は慶應大学(1858年開塾)が150年ぐらいです。明治元年は1868年ですから、そう考えると日本の消費社会というのは、実はものすごく底が浅い。文明が発達して衰退するというサイクルを何回か繰り返さないと様式はできてこない。日本は、明治から始まった最初の「現代」が、最近になって初めて衰退したばかりです。現代文明としては、まだまだ若造だと僕は思うのです。

――それが最初の「明治・昭和反復説」につながるわけですね。

 明治85年に高度経済成長が始まったように、昭和86年の今年は新しい成長を目指す年なんです。
 そのとき大事になるのは、従来の製品のカテゴリーの枠組みを、いかにうまく壊したり、ハイブリッドにするかだと思うのです。ITの世界では、PC、タブレット端末、スマートフォンといった端末が次々に登場し、検索サイトが注目されたかと思うと、ソーシャルメディアが台頭してきたりと、新しい変化が次々に起こっています。しかし、食品や日用雑貨、サービスなどの分野は、カテゴリーを壊すことがドラスティックにできないままでいる。従来の商売のやり方やカテゴリーにとらわれずにマーケティングを考えることが、次の日本の成長の糧を作っていくと思います。
記事作成:2011 October

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