今、なぜ、マーケティングROIなのか

2017.09.19

慶應義塾大学大学院経営管理研究科 ビジネス・スクール 教授井上哲浩 氏

慶應義塾大学大学院経営管理研究科 ビジネス・スクール 教授井上哲浩 氏

1987年関西学院大学商学部卒、89年同大学院商学研究科博士課程前期課程修了、92年同後期課程単位取得中退、96年カリフォルニア大学ロサンゼルス校経営学博士(Ph.D.)。関西学院大学商学部専任講師、助教授、教授を経て2006年慶應義塾大学大学院経営管理研究科教授。専攻は、マーケティング・マネジメント、マーケティング・サイエンス。主な著著に、『戦略的データマイニング─アスクルの事例で学ぶ』(共著、日経BP 社)、『費用対効果が23%アップする刺さる広告─コミュニケーション最適化のマーケティング戦略』(共監訳、ダイヤモンド社)など。
(所属・役職等は取材時点のものとなります。)

 企業の業績は投下資本に対する収益で評価されてきたが、マーケティング戦略だけは効率性が十分に追求されてこなかった。海外企業のROIを導入した経営モデルが盛んになっている中、慶應義塾大学ビジネス・スクールの井上哲浩教授に、その分析手法や日本企業の学ぶべき点を伺った。

── 日本でもマーケティングROIが注目されるようになりましたが、その背景をどのように見ていますか。

 ROIとは「Return On Investment」の略で、一般的には「投下資本利益率」と訳されます。マーケティングROIは、マーケティング戦略への投資を効率化するために、投資対効果を客観的に把握するための指標のことを言います。それが日本の企業に注目されるようになったのはリーマン・ショック以降ですが、それ以前から長期的な資源の枯渇で経営環境が厳しくなってきたことが大きな背景としてあります。同時に、メディア環境の変化でマーケティングコミュニケーションが以前のようには単純にはいかなくなってきて、マーケティング効果が見えにくくなったこともあると思います。
 そういう事情から、マーケティングROI=コスト削減と誤認されがちですが、そうではありません。むしろ成果を達成するためにはどうすればいいかという指針です。

── マーケティングROIという考え方は、アメリカから始まったのでしょうか。

 早かったのはアメリカです。やはり、マーケティングスキルの最先端をいっているのがアメリカですから当然なのですが、ROIでマーケティング効果を見ていこうというアプローチはすでにグローバルな流れになっています。ヨーロッパもそうですし、サムスンの影響を受けたアジアのリーディングカンパニーもすでに経営に取り入れています。それから、私が直接知っている限りでは、南米のブラジル、アルゼンチン、メキシコ、それからトルコでもリーディングカンパニーは同じような取り組みを始めていますね。

縦割り組織の弊害

── そのマーケティングROIについて、できるだけわかりやすく教えていただきたいと思うのですが。

 まず重要なのはマーケティングサイエンス、マーケティングエンジニアリングです。統計、数学、工学などの技術を使ってマーケティングのさまざまな問題を解決する枠組みを作っているということなんです。
 具体的に言えば、コミュニケーション効果や最適な価格決定、製品開発、それからパッケージデザイン、ネーミング、販売チャネルなど、すべてのマーケティング課題に対して統計工学、数学などの技術を使ってアプローチしようという考え方です。

── すべてを数値化して客観的に判断するということですか。

 そうです。ただ、出てきた数値で判断するというよりは、むしろその数値を判断の拠りどころとするといった方が正しいですね。それを企業の経営戦略全体に活かしていこうというのが、マーケティングROIの基本的な考えです。

── すべてを数字で見ていくというのは、日本企業にはなじまない考え方のような気もするのですが。

 それは、世界的に見て日本企業のマーケティングの発展の仕方がユニークだったからだと思いますね。典型的な日本の会社組織はマーケティングの職能が宣伝、開発、営業の3つに分かれているのが普通です。宣伝には広告、広報も入りますが、問題は、それぞれが縦割りの組織になっていて、会社全体の視点からマーケティング資源をきちんと管理しようという意識がなかった点にあったと思います。

── そういう縦割り組織の弊害を取り除くためにブランドマネージャー制度が、日本でも導入されてきたと思うのですが。

 ブランドマネージャー、プロダクトマネージャーが意思決定できるのは、担当ブランドだけです。例えば、それがシャンプーだとして、そのシャンプーが会社にとってどういう位置づけなのか、長期的にどういう意味を持たせるべきかということは、ブランドマネージャーの権限外です。つまり、製品、広告、販売チャネルなどすべてのマーケティングファンクションを経営資源と考え、それを全社的に戦略的見地から管理するという考え方が「マーケティングROI」なのです。

── ブランドマネージャーの上に、全社的な観点からマーケティングを統括する責任者が必要だと。

 そうです。それがCMO、チーフ・マーケティング・オフィサーです。全社のマーケティング戦略を統括し、かつ企業戦略のもと各事業ユニットがなすべきマーケティング課題を明確にし、それに合わせたコミュニケーションメディアやセールスプロモーションを包括的に管理する存在が、従来の日本企業には欠けていたんですね。もちろんCMOという職制を社内に置くのではなく、マーケティング機能を分離し、別会社として事業会社を統括するというやり方もあります。いずれにしろ、全社的視点ですべてのマーケティング活動をマーケティングROIという共通指標で管理することが基本的な考え方です。

企業が成長するためのROI

── では、具体的にマーケティングROIとはどういうものなのか、説明していただけますか。

 最初にROIの「R」と「I」の考え方から説明したいと思います。「I」はInvestment=投資です。そのマーケティング活動にいくらお金をかけたかという話なので比較的把握することが容易です。問題はR、Return=利益の方です。 
 まず大切なのが、企業戦略、成長戦略です。長期戦略でもいいし、中期経営計画でもいいのですが、その企業戦略に基づいてRを決めるべきだということです。つまり、マーケティングは広告宣伝や製品開発のためにやるのではなくて、企業の成長戦略のためにやるということです。
 例えば、中期経営計画でROE(株主資本利益率)を今の5%から12%にするとします。ROEというのは、簡単に言うと株主が投資したお金を使ってどれだけ利益をあげたかということで、企業価値を測る基本的な尺度です。
 その会社には7つの事業部があったとします。そうすると、目標であるROE12%を達成するために各事業部がどれくらいの数字を挙げなければいけないか。また、そのためにはどういう課題があるかという話になってくるわけです。そして、そのためには各事業部の製品・サービスの目標をどのくらいにするか、そのためにはどういう課題をクリアしなければならないかと順に降りて考えていくということですね。

── 「R」はROEでなくてもいいわけですか。

 今はキャッシュがない。この1、2年を乗り切ればいいということなら、各事業部、各製品・サービスの売上最大化を目標に行動すべきだと思いますね。ただ、中期経営計画や長期戦略の場合は、多くの会社がROE=企業価値の最大化を目標にするのが普通だと思います。もちろん、その時の経営判断で目標は違ってきますが、大事なのは、そういう目標に向けてマーケティングをやるべきだということです。ですから、それは取締役会が決めることだと思うんですね。

── マーケティングROIはマーケティングではなくて、経営の話なんですね。

 マーケティングはマーケティングのためではなく、企業が成長するため、企業が存続成長するためにやるわけです。だから、企業の成長戦略、企業戦略と合致していなければ意味はありません。それが「R」の基本的な考え方です。これまでのマーケティングは、広告宣伝や商品開発のためというような各論が多かったと思いますね。
 それはともかく、まずROI目標をきちんと決める。そうすると、あとはマーケティングサイエンス、マーケティングエンジニアリングの世界になります。個別のマーケティング施策に対して、「R」と「I」をどう捉えていくかということになっていきます。
 本来的には、これも、BS(貸借対照表)、PL(損益計算書)で決めるべきだと思いますが(図1)、個別のマーケティング施策が、すぐ利益につながるのはかなり稀なケースだと思うんですね。広告やセールスプロモーションといったマーケティング施策の売上や利益に対する貢献度を測定することは、非常に難しいことです。それで私は、BS、PLの前に、消費者の「行動」「社会心理」「情動」という3つの分野の測度(注)を設定し、それぞれの関係を明らかにすることがマーケティングROIの枠組みとして有効ではないかと考えています。

── 広告でよく言うAIDMA的な要素と売上などの財務情報を関連づけて見ていくということですか。

 マーケティング活動によって、今月の売上や利益は変化します。その変動要因はいろいろあるわけですが、消費者の「行動」「社会心理」「情動」という面から押さえるのが最も合理的だと思います。

行動・社会心理・情動とは

── 「行動」というのは、具体的には何を測定するのでしょうか。

 消費財(Bt oC)にせよ、生産財(BtoB)にせよ、まず初めに行動で押さえるべきです。BtoCでは1回当たりの購買額、反復購買率、購買間隔、ロイヤリティ、BtoBでは1回当たりの発注額、反復発注率、発注間隔などがReturn指標になりうると思います。それによって、例えば今月の売上や利益が変動します。その関係を見ていくということです。こうした「行動」は観測しやすいものだと思います。

──「社会心理」というのは?

 私は「社会心理的」と言っていますが、「認知的態度」と言ったほうがわかりやすいかもしれません。例えば、「親近感」「斬新さ」などブランドマネジメントで評価されるような尺度もありますし、「好き」「嫌い」といった素朴な製品・サービスに対する態度も社会的心理です。

──「社会心理」というのは、その商品やサービスの社会的評価・価値ということではない?

 そうではなくて、製品・サービスに対する心理的態度、認知のことです。ただ、その製品を消費者が「環境にやさしい」と思っていることも認知ですから、社会的価値も含めて「社会心理」と捉えています。
 ただ、この「行動」と「社会心理」だけでは売上や利益との関係は十分に説明できないんですね。

── 3番目の「情動」が売上や利益に影響するということですか。

 購買行動には情動がかなり関係していると思います。個人的なことでいうと、私はキリンのハートランドというビールが好きなんですね。私が20歳ぐらいの頃にできたビールですが、さまざまな思い出が私とハートランドの間にはあるんです。ですから、特別なことがある時は必ずハートランドを飲む。人には理屈抜きで好きなものがあるんです。その情動的な側面も絶対押さえなければいけないと考えています。
 「行動」「社会心理」「情動」の3つの結果としてBS、PLのような財務データを変動させる。そう私は考えています。

── 「行動」「社会心理」「情動」を上げていけば、例えば売上が上がるということですか。

 売上もその1つですが、企業戦略として目標とした「R」が上がるということですね。

情動を生体反応で見る

── 「行動」「社会心理」は調査や売上データでわかると思いますが、「情動」はどのように調べるのでしょうか。

 例えば、アンケートで「ハートランドは好きですか」と質問されれば、私は「好きです」と答えます。しかし、人は質問された時点で、情動は消えて頭で考えて答えます。それは本当の情動ではないんですね。ですから、情動を測定する場合は生体反応に基づく測定が必要になってきます。それを生体反応調査(バイオメトリクス・リサーチ)と言います。

── 脳の活性化を測るニューロマーケティングとは別の調査ですか。

 ニューロマーケティングも生体反応調査に含まれます。生体反応調査にはニューロマーケティングで使われる脳波や血流測定のほかに、行動喚起水準を測定する皮膚電気反応、笑いと関連する顔面の筋肉の反応を測定する筋電図測定などのいくつかの方法があります(図2)。
 生体反応を市場調査に応用する取り組みが本格化したのは2005年頃からですが、その背景には、これまでの言葉による調査の反省があったんですね。

── 「なぜその商品を買ったか」と尋ねられると、人は後付けで理由を考えると言いますね。

 そうです。人は、その商品を買ったことを自己正当化したりするんですね。だから聞いた瞬間に、情動が意識化された「認知」、私の言う「社会心理」に変わってしまうんですね。ですから、情動を測定する場合は生体反応調査が必須なんですね。

── 情動の研究も実際にされているのでしょうか。

 企業との共同研究がほとんどで公表できませんが、生体反応調査もいろいろ取り組んでいます。ただ、実際には情動だけでは説明できないこともあり、「社会的心理」と組み合わせて解析することが多いですね。

──「行動」や「情動」とRとの関連はどのように見るのでしょうか。

 最も一般的なのは、どのような要因が「R」に寄与するかを明確にする「構造方程式モデリング」という手法を使うことです。「行動」「社会心理」「情動」のデータをモデルに当てはめて、Rに対する寄与率を求めるわけです。
 図3は「行動」データだけに限定して、Rを「売上」とした場合の簡単な例です。これを「構造方程式モデリング」で解析すると、影響度が大きいのは流通の何なのか、流通の中でも何なのか、コミュニケーションではどのメディアの影響度が大きいかということがわかるわけです。こういう分析を個々の製品・サービスのマーケティング施策ごとに、事業部別に、そして会社全体で行っていくわけです。
 また、こうしたことを積み重ねることで、その企業のROIモデルが見えてきます。それは、マーケティング戦略のシミュレーションとしても使えます。今回、メディア、セールスプロモーションにどのぐらい予算を投入すれば売上がどのくらい上がるかも推定できるようになるわけです。最初のうちは精度が低くても、当てはめるモデルを試行錯誤していくうちに精度が上がりますから、それがマーケティングスキルとして社内の資産になる。そうすると、グローバル企業にも勝てるわけですね(笑)。

経営マネジメントが復活の鍵

── 最初の話に戻りますが、グローバル企業は、こうしたマーケティングサイエンスを使って経営をしているということですね。

 アメリカではコカ・コーラ、P&G、ヨーロッパではユニリーバが積極的に取り入れていますね。日本企業も自動車会社をはじめ、グローバルに事業を展開している企業は既に導入していますし、国内メーカー、流通業でも取り入れているところは増えていますね。

── 日本企業には、今、勢いがないと言われていますが。

 確かにそうですが、大丈夫です。十分追いつきます。実は経産省の仕事でアジアや旧ソ連の国々を訪れることが多いのですが、日本ほど経営資源、特に人的資源が豊かな国はないと思いますね。国民の多くが真面目で勤勉で前向きで成長志向で、という国はほかにないんです。しかも、水道の水は安心なのが当たり前、魚屋で売られている魚の安全性を疑う必要もない。人、物、金を我々は持っているんです。日本の金融セクターも評価は下がっていますが、実際は強い。もちろん、技術資源はすばらしい。底力は間違いなくあります。今は世界経済全体がシュリンクしていますから、売上が5年前、10年前に戻るということはないかもしれませんが、少なくとも日本の相対シェアは、おそらく早ければ2年後ぐらいには上がる。日本企業の地位は回復すると思いますね。その鍵を握るのは、マーケティングを始めとする経営マネジメントを改めて見直すことだと思います。
記事作成:2012 October

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